テキスト

短編小説「蝉の夢」

ある夏の日、村の小さな茶屋に、一人の若者が立ち寄りました。その若者は名前を持たず、ただ「蝉」と呼ばれる存在でした。彼はひときわ美しい琴の音色で人々を魅了し、その才能は村中に知れ渡っていました。

茶屋の主人は蝉の琴の演奏に感動し、彼を招いて毎晩のように演奏をしてもらうようになりました。蝉は心地よい風を感じながら、月明かりの下で美しい旋律を奏でました。

ある晩、蝉は夢の中で不思議な体験をしました。彼は蝉の姿をしたまま、ひとつの世界に迷い込んでいたのです。そこには妖しげな森が広がり、奇妙な生物たちが踊っていました。

蝉は不思議な世界を冒険しながら、美しい音楽を奏でる方法を探しました。彼はひとつの家にたどり着き、そこで古い本を見つけました。その本には「心の琴」と書かれていました。蝉は心の琴に触れると、心の奥底から湧き出る旋律が彼の指先から流れ出しました。

蝉は心の琴の旋律を持ち帰り、次の夜の演奏で披露しました。その音色はさらに深く、感動的でした。聴衆たちは蝉の演奏に酔いしれ、涙を流して感謝の気持ちを伝えました。

しかし、蝉はあることに気付きました。彼は人々に音楽を届けるために自分の存在を捧げていたが、自分自身の夢や願望を忘れてしまっていたのです。

蝉は自分自身の音楽を見つけるため、村を離れて旅に出ることを決意しました。彼は再び旅の途中で不思議な世界に迷い込みましたが、心の琴の旋律が彼を導いていきました。

そしてある日、蝉は自分自身の本当の音楽を見つけました。それは深く内なる情熱を込めた旋律で、彼の心に奇跡のような感動を呼び起こしました。

蝉は自分の音楽を持ち帰り、村に戻りました。彼は改めて演奏を披露しましたが、今度はただ美しいだけでなく、情熱に満ちた旋律を奏でました。聴衆は驚き、感動に包まれました。

蝉の音楽は村中に広まり、人々の心を癒しました。彼は自分の本当の音楽を見つけることで、自分自身と向き合い、人々との絆を深めることができたのです。

短編小説「蝉の声」

ちょっとした短編小説をお楽しみください。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「蝉の声」

都会の喧騒を離れ、静かな田舎町に住む、岡田という男がいた。彼は夏になると、町の公園で本を読むことが日課になっていた。

ある日、岡田は公園で本を読んでいると、突然耳に不思議な音が聞こえてきました。その音は蝉の声のようでしたが、何か違う響きを持っていました。岡田は興味津々で音の方向を追っていくと、公園の奥に小さな池があることを発見しました。

岡田は池のほとりに立ち、不思議な音の正体を探ろうとしました。すると、突然、岡田の前に現れた蝉の姿をした老人が現れました。

「おい、少年よ。私がなぜ蝉の声を出すことができるか知りたいか?」と老人が尋ねました。

驚きながらも興味津々な岡田は、老人に尋ねることにしました。「はい、ぜひ教えてください。どうして蝉の声を出すことができるんですか?」

老人は微笑んで言いました。「実は、私はかつて人間でした。ある日、私は蝉になりたいと願い、強い意志でそれを実現させたのです。それ以来、私はこの姿で生きています。しかし、私は人間の心も持っているのです。蝉の声を通じて人々に心の豊かさを伝えたいと思っているのですよ。」

岡田は感動し、老人に尋ねました。「では、どうやってその声を出すんですか?」

老人は指を口元に当てながら、少し考え込みました。そして、口を開いて「ミーーー」と声を発しました。すると、その声は蝉の声と重なり合い、美しい響きを奏でました。

岡田は驚きながらも喜びました。「素晴らしいですね!私も蝉の声を出してみたいです!」

老人は笑って言いました。「それは素晴らしい考えだ。ただし、人間が蝉の声を出すことは難しいだろう。蝉の声は自然の中で生まれるものだからね。」

岡田は諦めずに尋ねました。「では、私にできることは何ですか?」

老人は思案しながら言いました。「君には心の声があるはずだ。大切な人に感謝の気持ちを伝えることや、優しい言葉をかけることができるはずだ。それが君の蝉の声なのだ。」

岡田は納得し、心の声を大切にすることを決意しました。以来、岡田は公園で本を読むだけでなく、心の声を大切にし、周りの人々に思いやりを持って接するようになりました。

そして、岡田の心の声は、人々の心に届き、温かさを与えることができるようになったのでした。

プレイリスト実験




プレイリスト再生

プレイリスト再生



日経テレ東大学が

終了になるらしい。特にRe:Hackが面白かったので、とても残念。

成田悠輔、ひろゆきがMCで、ゲストは、竹中平蔵、菅義偉、岸田文雄、華原朋美、韮澤潤一郎、スザンヌ、乙武洋匡、そして森下千里と、凄い顔触れ。

こんな番組はなかなか出てこないだろうな。ゲストが2人のMCからボコボコにされることも多く、ゲストにとっては大変だったろうが、視聴者的には、それが見どころだった。

終わる理由がどうやら社内紛争の結果らしいから、なおさら残念だ。こういう尖った番組がつぶされるあたり、いかにも昭和な日本らしい。

RE:HACK ひろゆき&成田悠輔 in東大

を見てたら、大学出ないと幸せになれないのか?自分の得意分野で1000万円プレイヤーになって生きていくことはできないのか?という話題になり、

ひろゆき:例えば音楽なら、海外だったらジュリアード出て音楽で生きていくとかあるが・・・
成田:日本でも藝大とかあるじゃないですか・・・
ひろゆき:でも、藝大出て食えてる人って、少なすぎません???

とのやり取りが。よくご存じで。

打ち込み or 手弾き

ソフトシンセを使って何か作品を作るとき、あるテイクにクオンタイズをかけてしまえば、ぴたっとリズムがはまって気持ちいいのだが、どうしても機械的な感じになってしまう。そこで、敢えて手弾きで弾いたテイクを、クオンタイズかけずに使うと、若干人間らしさが表現できる。しかし、ただずれているだけの下手なテイクを使うと変に目立ってしまうので、そのあたりの加減が難しい。 

色々試した結果、クオンタイズかけたテイクとかけない手弾きをミックスするのが両方のいいところを反映でき、良さそうだという結論に至った。

Cubasis

現在の住まいは、音楽制作用のCubase入り自作PCがある部屋と、ピアノがある部屋が別なので、ピアノ音を録音しようと思ったら、Cubaseに直接録音はできず、別の機材を使わなければならない。

そこで役立つのがiPadとそれにインストールしたCubasis。これがなかなか良い。専用のマイクを接続すれば、かなり良い音で録れる。さらには、プロジェクトファイル毎Google Driveにアップロードすれば、自作PCの方にデータを送れ、Cubaseでそのまま立ち上げられるという流れだ。

本当は、Cubase1つで全て済めば良いのだが、何せ大きなPCで持ち運びができないので、モバイル機器とそれに特化した良いDAWが出ているのは、助かる。

貴志康一(1909-37):ヴァイオリン協奏曲 

貴志康一のヴァイオリン協奏曲、ピアノリダクション版制作を行いました。

貴志康一は、戦前のヴァイオリニスト・作曲家です。指揮者としても活動されていたようで、ベルリン・フィルを最初に指揮した日本人とも言われています。30に満たない短い生涯の中で、これだけ幅広い充実した活動をされていたというのは、驚きですね。

今回のヴァイオリン協奏曲は、日本的な音階・和声が印象的で、演奏時間訳40分の大曲です。ヴァイオリン独奏パートはまさに超絶技巧の連続で、かなり聴きごたえがあります。そして今回制作したピアノパートも、技術的に大変充実したものになっています。自分もちょっと頑張って練習しないと、ちゃんと弾けなそうです。。。

因みに貴志康一は、ヴァイオリン協奏曲の他に、歌曲も作曲されています。歌曲もいくつか編曲させて頂いたことがありますが、日本人には親しみやすい和声・旋律・歌詞と高度な技巧が融合した、大変興味深い作風だと思いました。私は編曲を依頼されて知ったのですが、近年、演奏される機会が増えてきているようです。

下記に各種リンクをはっておきます。

 

 

 

メンデルスゾーン《讃歌》

振り返ってみると、TOEICネタとか卓球ネタとか、音楽研究室らしからぬことばかり書いていたので、たまには音楽のことを書きたいと思います。

久々に楽曲解説を担当させて頂きました。大阪シンフォニッククァイアさんの演奏会で演奏された、メンデルスゾーンの《讃歌》です。この曲、《交響曲第2番》として知られ、交響曲の1曲とされているのですが、メンデルスゾーンの他の4曲とは異なり、通常の4楽章構成ではなく、10の楽曲からなる、声楽を伴う交響カンタータです。第1曲が3つの楽章からなる小交響曲、続く第2-10曲がカンタータという異例の構成によるこの曲は、グーテンベルクの印刷技術発明400年を記念する記念祭のため、”書籍の街” ライプツィヒから作品を委嘱されたメンデルスゾーンにより作曲されました。

管弦楽と声楽を融合するというアイデアは、恐らくベートーヴェンの《第九》からインスピレーションを得たものと思われます。作曲家のみならず高名な指揮者でもあったメンデルスゾーンは、当時難解な”現代曲”として知られていた《第九》を指揮し、この曲の演奏史に重要な功績を残しています。さらにはピアノでも演奏し、ヴァイオリンで演奏に参加したこともあるというくらいですから、当時誰よりも《第九》を理解していたといえるでしょう。とはいえ、最終楽章に声楽をもってくるというのではなく、10部分からなるカンタータ的な構成は、メンデルスゾーンならではのものです。

因みに「交響曲」というジャンル分けはメンデルスゾーン自身によるものではなく、出版上の都合だとされています。第2番には元々《イタリア》が割り当てられる予定だったそうなのですが、作品に納得いかなかったメンデルスゾーンは《イタリア》の改訂を行っており、ついには生前には出版しませんでした。メンデルスゾーン最後の交響曲は《スコットランド》で、生前、1842年に「第3番」として出版されています。メンデルスゾーンの死後、全集が出版される際、出版の事情で、元々《イタリア》が割り当てられる予定だった”空白”の「第2番」に、「讃歌」が割り当てられたそうです。

メンデルスゾーンの交響曲は、番号は出版順によるもので、作曲順は一致せず、1(1824)→5《宗教改革》(1830)→4《イタリア》(1833)→2《讃歌》(1840)→3《スコットランド》(1842)となります。《讃歌》も初演後に大幅な改訂を加えていますし、このあたり、自分の作品に厳しくしばしば改訂を加えたメンデルスゾーンならではの事情かと思います。

交響曲、カンタータ、詩篇、礼拝の形式等、作曲家であると同時に敬虔なカトリック信者であったメンデルスゾーンならではの要素が盛り込まれた、「讃歌」の名にふさわしいスケールの大きな感動的な作品です。

録音としては、アバド指揮/ロンドン交響楽団や、ヤニク・ネゼ=セガン指揮/ヨーロッパ室内管弦楽団等、Apple Musicで色々聴けます。それぞれにテンポ感が微妙に異なって、面白いのですが、とりわけ興味深いのは、リッカルド・シャイー指揮/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるものです。Apple Musicのサブスクの中には入っていなかったのですが、レンタル落ちの中古を入手できました。通常《讃歌》は、作曲者自身が改訂を加えた、「改訂版」が演奏されるのですが、シャイー版は初版によるもので、いくつかのレチタティーヴォが無い他、メロディーも改訂版とは結構違っており、聴き比べると面白いです。1840年6月のグーテンベルク記念祭での初演では、恐らくこれに近い音楽が響き渡っていたのだろうと想像しながら聴きました。

 

 

勝間和代氏の

 

 

YouTubeチャンネルは面白い。