やる方がいけないのは、言うまでもない。だがしかし、人が運転している限り、あおり運転は無くならないだろう。人間は感情の動物だから。自動車の運転という危険極まりないものこそ、AIにに任せたいものだ。人間、何千、何万の人がいれば、その中に危険運転をする人はどうしても1人や2人出てきてしまう。
テスラ、日産、グーグルなど各社が競って、完全自動運転を実現してほしい。
やる方がいけないのは、言うまでもない。だがしかし、人が運転している限り、あおり運転は無くならないだろう。人間は感情の動物だから。自動車の運転という危険極まりないものこそ、AIにに任せたいものだ。人間、何千、何万の人がいれば、その中に危険運転をする人はどうしても1人や2人出てきてしまう。
テスラ、日産、グーグルなど各社が競って、完全自動運転を実現してほしい。
活動40周年の記念日を持って、CHAGE&ASKAが解散しましたね。(詳細はASKA BLOG参照→https://www.fellows.tokyo/blog/?id=1616)
やっぱり古くからのファンからは「残念」と言われているようですが、個人的には「より好き勝手に活動をされるASKAさんが楽しみ」という感想です。実は昔から、ASKAとCHAGEのアンバランスさが気になってはいました。
ライブも何回か見に行きましたが、冒頭から、ASKAさんの世界観が前面に出たポエムが続き、ASKAさんの楽曲で幕を開け、途中でちょろっとCHAGEさんの歌が入る、など。様々な理由があると思いますが、つまるところ、ASKAさん自身が指摘されている「僕とChageは違いすぎた・・・」ということに尽きるかと思います。「同等のバランス」での活動はあまりにも無理があります。
ところで、楽曲を見る限り、この違いは昔はそこまでではなかったようにみえます。自分が生まれる前の楽曲「ひとり咲き」「万里の河」も、ASKAさんの曲ですが、この頃はまだ詞も曲も「超越した世界」という感じではないと思います。
90年代、「SAY YES」「YAH YAH YAH」を筆頭にメガヒットを飛ばし、ヒット曲はすべてASKAさんによるものではありましたが、このころも、それぞれがバランスを意識し、絶妙にやっていたように見受けられます。
やはり、2000年代からでしょうか。ASKAさんの楽曲が「売れる売れない」の次元ではなく、テーマが、一般受けするラブソングなどではない、ある意味ベートーヴェンの第九の人類愛とも通じる大きな曲を歌うようになってきています。
これはどちらが優れているとかではないのですが、2000年代のCHAGE&ASKAのライブを見に行きましたが、合間にポエムを朗読し「人はすごい、人はすごい、人はすごい。。。」と何かにとりつかれたように連呼するASKAさんを見て、「並のミュージシャンとは根本的に異なることをやっている」と思ったものです。
一方、CHAGEさんにそのような世界観は無い。もっとわかりやすいテーマとシンプルなコード進行による楽曲、そして割とマイペースな活動。上記のポエムを朗読するASKAさんの横で、どのような心境だったのか、気になるところです。心から「共感」していたのだろうか?謎です。
それにしても2000年代以降のASKAさんのソロ楽曲も「心に花の咲く方へ」「UNI-VERSE」「いろんな人が歌ってきたように」のテーマの大きさと楽曲の完成度の高さ、あるいは「あなたが泣くことはない」など、「これはギリギリだろ・・・」と思うきわどい転調を伴う重苦しい楽曲の独創性など、流石としか言いようがありません。
警察に逮捕されても、活動がペースダウンするどころか、それさえも自己の活動の肥やしにしてしまうようなずぶとさと才能がある方です。音楽のみならず、ハイレゾの普及、グッズ販売など、ビジネス面での感覚も鋭い。こういう方にはデュオの縛りの中でバランスなど取らずに、好き勝手やるのが一番良い結果になるのではないかと思います。
大物同士の対談。リンクはっておきます。
映画「海の上のピアニスト」より
Monster Childrenのライブにサポート参加しました。自分のバンドは、活動休止中ですが、バンドも楽しいですね。ソロとは違う楽しさがあります。動画ご覧ください。
CDの衰退が進み、音楽は今や配信で聴くのが当たり前。そして大容量配信が簡単になり、ハイレゾの時代が確実にやってきている。
ONKYOのサイトでは、ハイレゾ音源を配信しているが、ASKAさんの楽曲がトップ10の中の4曲を占めている。宇多田ヒカルを抑えてのトップ3独占だから、やはり強い。
実は、すでにハイレゾ音源はダウンロードしているのだが、ヘッドホンやスピーカーもハイレゾ対応でなければ、その良さを存分に味わうことはできない。機材もいいものにしなければ。
超高音質デジタルのハイレゾの時代になる一方、アナログレコードの温かみのある響きも、根強い人気を誇る。どっちつかずのCDが徐々に消えていく、という構図だろうか。
最近、自宅に卓球台を買った。
6畳の部屋にギリギリ入る大きさで、なかなか圧巻である。というか、普通はこんなことしないわな。
しかし、ある意味最高の贅沢とも言える。卓球台は、大きさの割には意外と安く、3万円弱で買える。これに卓球マシンもあるので、まあ合わせればそこそこの値段にはなるのだが、流行りの任天堂スイッチだって、結構イイ値段するし、ソフトを買うごとにどんどんお金が飛んでいくことを考えると、運動になり、楽しいおもちゃとして卓球台があるのは、コスパと言う意味でも決して悪くない。
卓球の素晴らしさを再認識した私は、中途半端にやっていたフィットネスクラブも、ゴルフも、完全に辞めて、スポーツにかける全ての時間を卓球に費やすことにした。
実は私は、小学、中学、高校と卓球部だった。しばらくブランクがあったのだが、最近、健康診断で肝臓の数値がかなり悪化していたこともあり、真剣に卓球をやろうと思い、水谷モデルのラケットを買い、卓球同好会に参加して練習に励んだ所、体重は10kg落ち、肝臓に数値は完全に元に戻った。
瀕死だった私は、卓球で蘇ったのだ。
Apple Musicをいろいろ見ていたら、キースジャレットが新しいのを出していた。
「アフターザフォール」というアルバムで一昔前のライブ録音らしい。
何度も弾いている枯葉やバウンシンウィズバドなどは、他のアルバムとは別バージョンが楽しめた、という感じだが、アルバムの中に「サンタが街にやってくる」があった。ビルエバンスもやっていたが、このキースバージョンもとても良い。ハーモニーのつけ方、リズムパターンのセンスなどで、独自の音楽になっている。
ここ数年来日してないようだが、また聴ける日は来るのだろうか。
Twitterは、最近小梅太夫のネタにツッコミを入れるというしょうもないことばかりやっており、音楽の話からあまりにもかけ離れすぎてしまったので、このHPからはリンクを外しました。代わりに、プロフィールのページに写真を入れました。幾分まともな感じになったと思います。これまで手の写真しか掲載してこなかったので。ずっと使い続けている手の写真も、かれこれ10年くらい経つのでしょうね。光陰矢の如し。
2年ほど迷っていた、自作パソコンを組み直した。使えるパーツは使おうと思ったが、結局、CPUを変えるということは、マザーボードもメモリも変えなければならない。グラボも8Gの大きなものを買ったのでケースに入らない。ということで、ケースも買い直し。使えたのは、HDDと電源ユニット位なものか。
実は、悪戦苦闘の末、ちゃんと動いたのだが、かなりてこずった。電源を入れても何も映らない。よくよく分解して見直してみたら、パソコンの中心となるCPUがきちんとセットされていなかった。こんな初歩的なことで何時間もかかるとは。自作パソコンは誰も助けてくれないので、自分で何とかしなければならない。
さて、実は、RYZENの結構いいCPUを入れ、メモリも16ギガ積んだので、サクサク行くかと思ったが、意外にそうでもない。
原因の1つは、WindowsをHDD(ハードディスクドライブ)から立ち上げているから。仕方ないから、数年前から急速に広まっているSSD(ソリッドステートドライブ)を導入して、爆速パソコンを作るとするか。
とまあ、ほとんど部品とっかえで結局はフルでコストがかかってしまったのだが、それでも同等のスペックを市販PCで買うと、多分2-3倍くらいの値段にはなったと思う。
最初のハードルは少し高い印象だが、試しに一度自分で組むと、やはりPCは自作だろう、と感じる。