テキスト

小室哲哉『罪と音楽』幻冬舎、2009年。

90年代にヒット曲を連発、一世を風靡するも、詐欺罪により逮捕・起訴された音楽家・小室哲哉。私は特に小室ファンというわけではないが、天国と地獄の両方を味わった音楽家の話にはとても興味があり、読んでみた。逮捕された時の心境、深い反省、公判の様子、奥さんへの愛情、音楽への熱い情熱、今後の活動など色々と書いてあり、どの章も大変興味深く、一気に読んでしまった。

個人的に特に面白かったのは、90年代末に幼稚なJ-POPが幅を利かせたことに関する考察の部分だ。

即興ピアニストの深町純氏は「「小室哲哉とつんく」は日本の音楽をダメにする」と主張している。これはかなりきつい言い方だが、言わんとするところは何となく私にも理解できる。今回本書を読んでみて面白かったのは、小室氏自身、実はこのことをよく分かっており、意識している点だ。小室氏が言うには、90年代末、小室哲哉&つんくが両輪となり、「わかりやすさの追求」に拍車をかけ、そのような安易な音楽を生み出す風潮を作ったということらしい。確かに思い起こしてみれば、90年代末、「聴き手に媚びる」ような安直な音楽が流れていたような気はする。

ポップソングにおいて、「できる限り、直感的、反射的に伝わるように心がけること」は必須である。 しかしそれが限度を超えると「音楽のレベルを落とす」ことにつながる。実際、小室氏自身「ここまで簡単にしなくてはいけないのか?」ということには疑問を感じていたらしい。ASKAさんが数年前の新聞で、「自信と過信の範囲を見極める。それがポップスと呼んでいる場所である」と語っていたことがあったが、これも本質的に同じことを言っていると思う。音楽家である以上、自分のこだわりは貫きたい。でもそれだけでは売れない。分かりやすい音楽を作れば売れる。でもそれでは音楽家として我慢できない。「わかりやすさ」と「クオリティの高さ」の両立というポップソング創作上の共通の悩みを、小室氏もまた非常によく考えていたことが分かり、興味深く読んだ。

様々な要因が重なって、結果的に犯罪を犯してしまったが、基本的には悪い人ではなく、ひたむきに音楽を愛する人なんだということがよく伝わってきた。犯罪は許されるべきことではないが、作詞家、作曲家、編曲家、ピアニスト、キーボーディスト、エンジニアなど、音楽家として実に幅広い能力を有していることは、実に羨ましい。音に関する専門的な知識も相当なものだ。学ぶべきところはある。

音楽に興味を持っている人ならば、何かしら考えさせられるところがある本だと思う。これをきっかけに、小室サウンドをいくつか改めて聴いてみよう。

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